ニューヨークで暮らし始めたこと、林先生のこと

ブログを更新するのが随分久しぶりになってしまった。

10月1日からニューヨークに来ている。1年この街に暮らすことになる(今日でちょうど10日ほどたった)。ニューヨークは僕にとってずっと憧れの場所で、というのも高校生の頃から聞いていた音楽もアメリカの60年代のものだったし、芸術に関しては大学院を出てから影響を受けてきた文脈はアメリカの50年代、60年代、70年代の芸術に根ざすものだったし、それを軸に僕もこの十数年、自分のプラクティスと展開してきたからだ。リー・クラズナーやフランケンサーラーがいたホフマンのスクールがあって、ポロックやニューマンやデクーニングやマザウェルがいて、ペギーグッゲンハイムのArt of This Centuryがあって、それからフランクステラを挟んで、ラウシェンバーグやジャスパー・ジョーンズにEAT、ケージにカニンガム、それにジャドソン教会派もいて、それからジャッドやモリス、それにルウィットやマーティンやケリーや、それからそれから……僕はこういう人たちをずっと自分のPeerだと思ってやってきたように思う。

ようやくこのPeerのいる(いた)街にたどり着いた。多くはもう死んでしまっているけれど、それでも作品のコレクションやアーカイブは腐る程あって、こういう残されたもの(作品=テクストはいつでも開かれている)を通じて、彼らに会い、協働することができる(はず)だと信じていたいと思う。

文化庁の海外研修に選ばれた時は嬉しくて、しかし出発の日が迫ってくると随分不安になり、そして実際着いてみるといよいよ来てしまったと妙に臆病になってしまい、同時に時差ボケと身の回りのことで手一杯でどうなることやらという感じなのが正直なところだけれど、ようやく10日ほど経って、ブルックリンの街の汚さや貧しさと危なさにようやく少し慣れ(だが慣れてきた頃が危ない)、少なからず色々な国で活動してきて言葉の問題はある程度解消されたような手応えもあり、少しずつエンジンがかかってきたようにも思う。ブログなんかを書こうとしているのもそういうことなんだろう。

僕がこうして今ニューヨークで1年間の活動をし始める、そのような十数年のプラクティスの展開に導いたものの一つは、林道郎という人が書いたものであったことは間違いない。おそらく最初に触れたのは『絵画は二度死ぬ、あるいは死なない』で、それから様々なアーティクルを読むことになり、上記のニューヨークの僕のイメージもエミール・ディ・アントニオとミッチ・タックマンの映画の翻訳本を通して作られ、そしてその頃には考えてもみなかったけれど、ついに2014年には僕の博論の審査にも入っていただくことが叶い、その後、いくつかの機会に推薦状まで書いて頂いたりもした。文化庁への最初の応募も(残念ながらそれは叶わなかったけれど)林先生に推薦状を書いて頂いた。

つまり今「僕がここにいることができている」ことについて、プラクティスの内容の面でも、また実質的な面でも、僕は多くのものを林先生に負っている。

出発の直前に、林先生をめぐるあれこれが突然報道された。先生は美評連もお辞めになり、もしかしたら今後、大学もお辞めになるのかもしれない。先生のプライベートな部分で何があったのかは僕は知らないし分からない。もちろん「僕が知っている面がその人の全てだ」ということもあり得ないけれども、しかしその言明は、その人の「ある面」が明らかになったからといって、それはその人に「そういう面があったのだ」ということを意味しても、「それ以外の面はない」ということを論理的に意味しない。その「そういう面」が果たして当事者にとってどのようなものであったのかは本人たち以外に知る由もないし、「本人たちであればわかる」ということに全く疑いが挟まれないというようなことにも慎重であるべきだろう。当事者で納得がいくまで大いに話が為されれば良い問題としか思えないし、しかし、それは僕にはあまり関係がない(そして僕もまた、個人の関係において、これまでに幾人かを深く傷つけたと思う。そして、それは「その幾人か」の人以外には全く関係のない話だ)。

誰かがその人と林先生との直接的な関係について、その一面から彼を批判することが許されるならば(無論それは許されるべきだ)、僕個人が僕と林先生との個人的な関係について感謝と敬意を変わらず申し述べることも当然許されるべきだろう。

僕は今、こうしてニューヨークにいる喜びとお礼を林先生に伝えたいと思っている。林先生のTwitterのアカウントも無くなってしまって、メールアドレスは知っているけれど、このタイミングで出すべきなのかどうか逡巡しているうちに時間ばかり経ってしまう。手紙でも出したいのだけれど、もう少し落ち着いてからにした方が良いのかもしれない。ひとまずほとんど誰にも読まれることのないこのブログに、せめて先生への感謝の気持ちを少しだけでも書いておきたい。それから、僕がまだ林先生の仕事をこれからも見たいと思っていることも。

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