この世に一つだけの存在である私

さて、今年の夏も終わりました。
というわけで、この夏、見たものについて書いておこう。といってもこの夏は(いや秋口も)美術館にはろくな展示がなく(アイウェイウェイも鴻池もダメではないと思うのですが、最早あんまり興味ないのですよ。あ、とはいったもののMOTはリテラルにダメだから。)越後妻有をのぞいて、見た物と言えば、つまりアニメ映画2作品だけだったりする。
Evangelion 2.0
こっちは前に何かしら書いたのでもう良いのだけれど、はてな村をはじめレビューやら何やらが出揃ったところで、どうしても気になる事がある。
というのも、映画の評価は賛否両論あるようだがまとめてしまえば……
A  賛否両派=映像的にはヤバイ(CGとか作画とか演出とか)
B1 賛派=シンジくんの決断主義的態度を評価する
B2 否派=シナリオ的に、アスカの扱いも含めて葛藤(というかアイロニーとういうか、つまるところドロドロ)が足りない
という感じ。
で、賛否が分かれるBについて、まぁB2はもう前回たっぷりやったからいいんじゃねーのか、というのが僕の感想なのだけれども、とはいえベタにB1でよろこんでいるスイーツ(笑)な方が多いので、あらあらと思った次第。シンジくんの決断内容自体には価値なんてないでしょ。
タイトルが”YOU CAN ADVANCE”ではなく、”YOU CAN (NOT) ADVANCE”であることを忘れたのか。χαραに庵野秀明という男がいるのを忘れたのか。忘れっぽい方々の為に、もう一度アレをを貼付けておこう。油断すれば痛い目にあう事を、再びあのトラウマから学び直すべき。

Summer Wars
相変わらずのネ申演出。おばあちゃんが死んだ朝の長回しとか、夏樹先輩が小指を握るのが、侘助とおばあちゃんに接続されるとか、馬過ぎ。が、「ときかけ」で期待が高まりすぎたせいもあって、不満もいっぱい。
・家族を美化し過ぎ。田舎の親戚なんてもっと醜悪なものだ。(だれがパチンコで破産したとか、あそこんちの嫁は子供産んだが父親がわかんねぇとか、そんなゴシップばかり。あとゲイとかは抑圧される≠カズマくんのことではない……いや、もしかしてカズマくんが表象しているのはそういう立ち位置なのか?だから、暗い部屋で1人でネットなのか?だから二次創作でゲイなのか?)
・何よりも侘助がカワイソスぎる。侘助は1ミリも悪くない。
・ババアは何か分かっているようで何も分かっていないのに、良い人として扱われすぎ。
・結局、「家族」というモノが、「近代のソレ」から何も変わっていない。(まぁ、最後のドイツ人少年によってそこんところは救われたが、だったらここでアバターの小指つなぎ的演出があってもよかったかと)
・ネットでの連帯に希望を描くならば、もっと非倫理的なカタチで、つまり2ch的”祭り”のようなカタチで書かれたほうが、よっぽど倫理的ではないか。「愛は地球を救う」的な話というようなフレームワークに落ちていってしまうとすればなんだかなぁ、と思わざるをえない。それよりは勘違いのノリで集まり、キングカズマで「神キターーー」的展開となり、その他オープンソース系コミュニティの職人の加勢もあって、なんとなく助かった、みたいな。
・で、夏樹先輩は何もしない割においしすぎじゃないか。
・あと、リアルな話で恐縮だが、サーバ管理者は何やってんの?あと端末が古過ぎ。
・最後に、グローバルなネットワークプラットフォームのデザインが村上って美術史的にはあり得ないし、最悪。村上がやってんのは西欧の歴史に属せなかった極東の土人がその歴史に居直る作戦でしょ。(村上のそういう戦略自体がしょーもないのは言うまでもないから、それは置いておいても良いとして)これじゃあ外人連中は黙っていないだろうし、逆に彼らを村上が淘汰するのが未来なのだとしたら、これ以上恐ろしいことはない。

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