YOU CAN (NOT) ADVANCE.

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興奮が醒めない。まさに14歳であの「1995年」を迎えた私たちの世代は、それから15年後、こうしてまた新たに臨界点を突破する瞬間を見ている。これを幸福と言わずして何と言おうか!
あの「1995年」、見事に全ての価値は還元され、相対化された。最終審級を求めた最終回、私たちは徹底的な相対化を目の当たりにし、その後早朝から並んだ池袋の映画館では、文字通りぺんぺん草ひとつさえ残らない、全ての審級が崩壊した世界を目撃した。完璧な傑作。もはや出口無し、八方塞がり。
そんなほめたたえる何ものもなく、信じられる何ものもなく、同時に失望する何ものもない焼け野原から、私たちの「中二」以降は始まったのだった。焼け野原に居直るのでもない、かといって耐えきれずに1995年以前に退却するのでもない、『前進する』方法だけ考えてきたのがこの15年間だったと言って良い。
しかし、それは私たちだけではなかった。1995年に全てを焼き尽くした「あの作品」もまた、15年後に全く同型の展開を見せたわけだ。なんと!
今回もやはり「大人になること」は見事に拒否された。しかし、一方で「あくまで個人的なレベルで」能動的な選択がなされたのである。それは決して、善/悪、真/偽のような「大きな物語」に属するものではない。一つのエラーとして、あるいは勘違いとして、無限にある選択肢から能動的に一つが選びとられたのだ。
私は再び傑作を見ている。私は前進することができる(できない)。

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