メモ

美術館建築をめぐって(2)磯崎新+青木淳
http://10plus1.jp/dialogue/dialogue1_2.html

僕が1968年に『建築の解体』を書いた頃は、あらゆる既成概念や価値基準が壊滅状態になった。そして一瞬の静寂みたいな時間が70年代の最初の2、3年にあった。その中から出てきたことのひとつは――もちろん伏流としてはそれ以前にあっんだけれど――アルド・ロッシなんかのコンテクスチュアリズムです。これは、伝統的に存在している都市のコンテクストや歴史のコンテクスト、文化のコンテクスト、要するに、全部建築外にあるものとつなごうという理屈ですね。これに対してアイゼンマンや僕のフォルマリズムは対極にありました。まったく空白の状態を”「主題の不在」という主題”と僕は定義しましたが、そのとき建築が自ら対外的な作用のできる意味を生産できると考えていたことが疑わしくなった。むしろ受け身にまわる。そこで、外部のコンテクストに接続するような扱いをはじめる。それにたいして、自閉して、自らの内部のみの形式性を追求する。「自立性」とか「自律性」とか言われました。自立した建築の仕組みっていうのは、自分自身がもっている形式性の自動展開でしかない。手法論と言ったのは、一種のフォルマリズムへつなごうとしたわけですね。それは自律性のほうからきているんですね。つまり、片一方は都市、あるいは歴史に広げていこうっていうコンテクスト重視の動きがあった。二つは対極的で内に向かうのと外に向かうのと両方が出ちゃうんですよ。それは事態が限界状態に行き着いたあげくに起こる現象なんですね。

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