PAULKLEE

http://klee.exhn.jp/
パウルクレーについて書いておくつもりだったが、すっかり忘れていた。メモとしていくつか記しておく。
今回の展覧会では制作プロセスに主眼がおかれて文脈が作られていたこともあって、クレーが絵画に持ちこもうとしている問題系が非常に分かりやすかったように思われる。
それは有り体にいえばPhotoshop的論理とIllustrator的論理の統合をはかるということなのだが、そこに運動(及び時間)が関わるということである。分かりにくいので補足する。
対象の像を絵画平面上に定着させる論理として、基本的には色(光)として記述するか、形体(線)として記述するか、という問題があり、それらは基本的に排他的なシステムとして閉じている。ラスターデータ(Photoshop)とベクターデータ(Illustrator)は基本的には相容れない。
これを如何に統一するかということが近代絵画の引き受けている大きな問題系の一つであると思うのだが、クレーの場合はこれらの異なる記述体系の統合をはかる際、「如何にそれぞれの異なるパラメータを接合し溝を埋めるか」ということではなく、そのまま「異なるパラメータをもつデータを重ねあわせた際に、如何に各々の体系が破れる(破綻する)のか」という点をフックにして制作をしているように思われる。
基本的には閉じている体系を異なる体系と衝突させることで、破綻する瞬間を作り出す。そしてその体系の破れをフックに、切断、回転、置き換え、接合、というような静止した平面自体を破る契機として利用しているのではないか。
では、その静止した絵画平面を破ることによって導入しようとしていることは何か。それは運動、時間(対象を見るという制作者(クレー)の運動、それに要する時間、及びそれらが記述された絵画平面を見るという(鑑賞者の)運動、それに要する時間)ではないか、というのが現段階での私の予測である。
※カタログを熟読できていないので、あくまで作品から引き出せたものだけで考えてみた現段階での予測であるが、あながち間違ったモノでないことを願う。

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