ROMAZI NIKKI

 一方,キンダイチ君がシットぶかい,弱い人のことは,また争われない.人の性格に二面あるのは 疑うべからざる事実だ. 友は一面に まことにおとなしい, 人のよい, やさしい, 思いやりふかい男だとともに, 一面, シットぶかい, 弱い, 小さなうぬぼれのある, めめしい男だ。

 予は ただ安心をしたいのだ! —-こう, 今夜はじめて気がついた. そうだ, まったくそうだ. それに ちがいない!
 ああ! 安心—-なんの不安もないという心持は, どんな味のするものだったろう! ながいこと—-もの心ついて以来, 予は それを忘れてきた.

 ’つまらなく暮らした!’ そう思ったが, そのあとを考えるのが なにとなく 恐ろしかった. 机の上はゴチャゴチャしている. 読むべき本もない. さしあたり せねばならぬ仕事は 母やそのたに手紙を書くことだが, 予は それも恐ろしいことのような気がする. なんとでもいいから みんなの喜ぶようなことを いってやって 哀れな人たちを なぐさめたいとは いつも思う. 予は 母や妻を忘れてはいない, いな, 毎日考えている. そしていて 予は ことしになってから 手紙1枚とハガキ1枚 やったきりだ. そのことは こないだのセツコの手紙にもあった. セツコは, 3月でやめるはずだった学校に まだ出ている. 今月は まだ月はじめなのに, キョウコの小遣いが 20銭しかない といってきた. 予は そのため 社から少しよけいに前借した. 15円だけ送ってやる つもりだったのだ. それが, 手紙を書くがいやさに いちにち ふつか と過ぎて, ああ……!  すぐ寝た.

 予は いま予の心に何の自信なく, なんの目的もなく, 朝から晩まで 動揺と不安に おったてられていることを知っている. なんのきまったところがない. このさき どうなるのか?
 あてはまらぬ, 無用なカギ! それだ! どこへもっていっても 予のうまくあてはまるアナが見つからない!
 タバコにうえた.

啄木の日記は複雑に組み上がっている。
対して、多くの小説や映画(や美術)は、なぜ第三者的な記述に落ちて行くのか?
そういった「語りの形式」自体が、記述体系として程度が低いといったレベルにとどまるどころか、暴力として機能しうることに対する自戒の念はないのか。
といったところで、では複雑な世界の内側からその当事者として対象を観測し記述した場合、それは(つまり日記は)作品となりうるか。

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