柄谷行人『日本近代文学の起源』

古典古代の美術において、個体が「空間」とはべつにあった、つまり諸個物不等質な空間に属していたとすれば、中世美術はそれら個物の実在性をいったん解体し、平面の「空間的統一体」のなかに統合する。ここで、世界は「等質的な連続体
」に改造される。それは「測定不可能」で「無次元的な流動体」であるが、測定可能な近代の体系空間(ガリレオ・デカルト)はそこからのみ出現しうるのである。《芸術がこのように単に無限で「等質的」だというだけでなく、また「等方向的」でもある体系空間を獲得するということが、(後期ヘレニズム・ローマ期の絵画がどれほど見せかけの近代性をもっていたにしても、やはり)どれほどまで中世の展開を前提として必要としているかも、明らかに見てとれよう。というのも、中世の「大規模様式」によって、はじめて、表現基体の等質性も作り出されたのであって、この等質性がなければ空間の無限性のみならず、その方法に関する無差別性も思い描かれなかっただろうからである》(パノフスキー)。
 逆説的なことは、近代遠近法における「奥行」が、いったん古典古代的な遠近法が否定されることによってしか出てこなかったということである。古典古代において、プラトンは、遠近法は事物の「真の大きさ」をゆがめ、現実やノモスのかわりに主観的な仮象や恣意をもちだすという理由で、それを否定していた。遠近法をしりぞける中世の空間は、いうならば、「知的空間」をしりぞけるネオ・プラトニズム=キリスト教的な形而上学のなかで形成されるのである。そうだとすれば、奥行き、測定可能な空間、あるいは主観–客観という認識論的な遠近法(ルビ・パースペクティブ)は、キリスト教・プラトニズム的な形而上学に対立するのではなく、まさにそれに依拠しているのである。
 現代絵画における遠近法への反撥—-後期印象派は結局まだそこに属している—-は、遠近法的における「等質的空間」が、作図によって与えられたものであり、「知覚」によって与えられるものとは乖離しているという意識にはじまっている。この場合、知覚は、たとえば「手でつかむ」運動をもふくむのであって、たんに視覚に限定されてはならないし、また諸感覚としてばらばらに切りはなされてはならない。知覚は、したがって、身体は錯綜した構造体としてある。絵画におけるキュービズムや表現主義の反遠近法は、哲学における知覚・身体に対する現象学的な注視と対応しているのである。
(VI 構成力について その1 没理想論争 pp.196-197)

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